破綻ディベロッパー列伝 その1
株式会社アーバンコーポレイションについて 



大京広島支店勤務であった房園博行氏によって1990年に設立さ
れた。当初はマンションの企画販売や「アーバンビュー」ブラ
ンドでのマンション分譲を中心に事業を展開していた。老朽化
したビルを買収して、改築・一帯の再開発を行った後にファン
ドに転売する不動産流動化事業へとシフトし、急成長。2004年
3月には広島市内に、地上43階建てのアーバンビューグランドタ
ワーを建築。2006年に海外での営業展開を目的にシンガポール
とソウルに現地法人を設立し、2008年3月期の連結売上高は
2,436億円と5年間で7.5倍に急成長した。この時点で、本業であ
った分譲不動産事業の売上割合は1割を切っていた。

2007年下期からのサブプライムローンや建築基準法改正の影響
によって不動産市況が冷え込む中で資金繰りが急速に悪化。金
融機関6社に融資の見返で担保提供していた房園保有のアーバン
コーポ株の担保権が実行されたことが2008年7月に発表されたこ
とでアーバンコーポの動向に注目が集まった。7月中にフランス
の金融大手BNPパリバを引受先とした転換社債型新株予約権付社
債 (CB) を発行したが、アーバンコーポの株価に連動してCBに
よる調達額が変動する契約を結んでいたこともあって、当初見
込の300億円を大幅に下回る92億円しか調達出来なかった。
加えて金融機関の間でアーバンコーポと反社会的勢力との関わ
りが指摘されたこともあって資金調達は不調に終わり、2008年
8月13日に東京地方裁判所へ民事再生法を申請した。負債総額は
2,558億3,200万円であった。

アセットマネージャーズ(2337 現いちごホールディングス)、
グラウンドファイナンシャルアドバイザリー(8783)の設立
母体となった。両社ともアセット社の古川令治氏、グラウンド
社の佐藤明彦氏と、房園氏の個人的関係により発足し、上場を
果たしたとも言われている。

房園氏は、かつて故大川CSK会長の薫陶を受け、後継者にまで
擬されたとも言われている。東京都千代田区麹町の「秀和紀尾
井町TBRビル」、東京都中央区京橋、虎ノ門一丁目開発の地
上げという有名物件に常に顔を出していた有名人であった。
いまだに、アーバンの亡霊が不動産、株式市場を彷徨っている
ことは確かである。時代のあだ花だったとも言えるかもしれな
い。