東京電力4

西岡参院議長が東電社長に不快感



西岡武夫参院議長は24日の記者会見で、東京電力の清水正孝
社長が福島第1原子力発電所での放射能(放射性物質)漏れ事故
の発生以来、公の場にほとんど姿を見せていないことについて、
「極めておかしいというより、けしからんことだと思う」と述べ、
強い不快感を示した。参院は同日昼、国会内で常任委員長懇談会
を開き、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長らから
事故に関する説明を受けた。西岡氏は清水社長にも出席を要請
したが、東電側は「多忙」を理由に断ったという。清水社長だけ
ではなく、最高権力者の勝俣恒久会長も、公式の場に全く姿を
見せず、トンズラを決め込んでいる。

勝俣会長については、社長当時の2004年10月の中越地震で柏崎
刈羽原発が放射能漏れを起こした事故で、新潟県庁で泉田裕彦知事
との面会のなかで、「今度のことを、いい体験に生かしていきたい」と、
コメントし世論から袋叩きに会い、経団連次期会長の椅子をフイにした
という経歴がある。また、原発の甘い耐震構造、消火体制の不備など
脆弱な防災対策が次々と明らかになり、東京電力に対する地元市民の
強烈な反発が募った。

2002年に発覚した原発のトラブル隠しで、当時、経団連会長を狙って
いた南直哉社長(当時)が引責辞任した。以後、東京電力は1年半あま
り財界活動を自粛せざるをえなかった。経団連の重鎮という自負があっ
た東電にとっては忍従の日々が続いた。南氏の後を継ぎ社長に就任し
たのが勝俣氏だった。同氏は、東大経済学部卒で学生時代は卓球部で
活躍した。東電入社後は企画部中枢というエリートコースを歩み、歯に
衣着せぬ物言いで『カミソリ勝俣』の異名をとった。社長就任後は堅実に
会社の信頼回復に努めたと評価も高かったと、業界筋では言われてい
た。 04年には勝俣氏は経団連副会長に就任、財界への復帰も果た
した。だが、その後、勝俣氏への評判が一変する。東京地検が着手した
水谷建設事件では東電幹部が事情聴取を受け、東電の立件もあるのか
と騒ぎになった。その後、原発のトラブル隠しやデータ改竄が発覚。勝俣
社長が『信頼回復に努めたい』と謝罪したが、株主総会では『データ改
竄に対する責任はどうするのか』という声も上がった。中越地震では、
時の安倍内閣からの信用も失った。安倍首相は急遽柏崎入りして原発
を視察。とはいっても展望台から原発を見渡して『安全に十分に気をつけ
てください』と話す形式的なものだったが。 ところが、その後に相次いで
放射能漏れが発覚。正確な情報が伝わらず住民の不安が増大し、安倍
首相の面子は丸つぶれ。甘利経済産業相が当日深夜に勝俣社長を呼び
つけ、厳しい言葉を浴びせたのはその意趣返しではないかと言われた。

南前任社長が、原発のトラブル隠しで引責辞任をした後を受け、中越地
震で、経団連会長の椅子をフイにし、今回の大震災で、企業としての
存続すら危ぶまれているという、つくづく原発に縁がある勝俣会長である
が、これだけの事故を起した企業トップとしての責務を全く果たしている
とは言えず、国民は、徹底した法的追及をすべきであると指摘したい。