山本太郎は何故に激戦区で勝星をあげたのか不思議だった。

先にブログで書いた通り、天皇陛下に直接手紙を渡すという愚を犯し、政治利用と売名行為を世に晒した男である。

FACTAのアーカイブを何気無く見ていて「山本旋風」の仕掛人斎藤まさしと言う記事が目に止まった。

斎藤まさしは元左翼で「既成政党を敵視する筋金入りの市民運動家。1983年に政治団体『MPD・平和と民主運動』を立ち上げ、自ら選挙に立候補した。その後、各地の選挙運動を応援し、『無党派選挙の第一人者』になった。これまで裏選対を仕切り、ほとんど姿を現さなかったと記事にある。

この斎藤まさしが山本の選挙を指導し、山本を参議院議員にまで導いた。

記事によると、「山本旋風」の仕掛人の本名は酒井剛(たける)。斎藤まさしはペンネームである。当局の「斎藤ファイル」によると1951年島根県生まれ。70年に上京し、上智大学外国語学部ロシア語学科に入学。たった独りで「学費値上げ反対」のプラカードを掲げて学内を駆け回り、注目を浴びた。やがて学生会長となり、学内ストライキを打ったが、あっけなく公務執行妨害容疑で逮捕され、大学から除籍処分を受けた。その後、74年に新左翼系の学生団体『日本学生戦線』を結成し、79年にはマルクス・レーニン・毛沢東思想に立脚する『立志社』を設立。カンボジアのポル・ポト派支援運動や成田空港反対闘争にも参加し、機動隊との衝突も辞さず、さらに2度逮捕され、筋金入りの左翼活動家としてマークされてきたとある。

また、市民のカンパとボランティアによる選挙活動をモットーに、東京・多摩地区を中心に多くの自治体議員を当選させ、99年に広島市長に秋葉忠利を当選させたのを皮切りに、堂本暁子・千葉県知事、嘉田由紀子・滋賀県知事を当選させた。さらには俳優の中村敦夫、『薬害エイズ』運動の川田悦子、沖縄出身のシンガー・喜納昌吉らの選挙を仕切り、国政に送り込んだ」とツワモノぶりが書かれている。

山本の言う選挙、「みんなボランティアが勝手にやってくれた」は嘘だったらしい。

地盤、看板、カバンの無い一個人が国政に挑み、勝利するのは容易ではない。

紐解けば、素直に腑に落ちた。

左翼的なイデオロギーは山本には無いだろう。

何処を目指し、何を成したいのか。言葉ではなんとでも言える。行動が全である。